繊細だから疲れるんじゃない

身体知の書庫 令和8年6月
身体の教養ラヂオ/コミュニケーション三部作・最終週

繊細だから疲れるんじゃない

「感受性が高い」の、ほんとうの仕組み

手がかり 1
豊かに反応する身体
感受性が高いのは、身体が豊かに反応するから。なおすべき欠点ではなく、豊かさの証。
手がかり 2
飲み込まれる
共感疲労の正体。自分の中の体験がふくれあがって、自分を飲み込んでしまう。
手がかり 3
解ける術
特別な修行じゃない。好きなこと、楽しいことが、もうすでに、解けていく時間。
解けてくると、三つ起きてくる
豊かに反応
する身体
宝物
感じて、
解ける
術がある
感動が深く
好きが広がり
許容度が上がる
三つ起きてくる

感受性は、重荷じゃない。解ける術とセットになったとき、
人生をこまやかに、豊かに味わうための、大きな才能になる。

共感しやすい人ほど、いちばん疲れている。
でも、相手から悲しみを「もらった」のではありません。自分の中の体験が、ふくれあがって、自分を飲み込んでしまう。

先週は、共感とは体験の共有で、それは自分の身体を通っていく、という話をしました。相手の体験が、自分の中の似た体験を呼び起こす。だから、自分の体験をちゃんと感じられる人ほど、よく共感できる、と。

ということは、共感しやすい人というのは、自分の体験が呼び起こされやすい人、ということになります。身体が豊かに反応する。とても、いいことのはずです。

ところが、その人たちが、いちばん疲れている。人と会うとぐったりする。誰かの機嫌が気になって、自分のことが手につかない。悲しいニュースを見ると、何日も引きずる。「わたし、感受性が強すぎるのかもしれません」。そう言って、施術に来られる方も、少なくありません。

共感できることは、いいことのはずなのに、どうして、こんなに疲れてしまうのか。最終週の今日は、この話をします。

「繊細さんだから」では、止まらない

ここ数年で、「繊細さん」とか「HSP」という言葉を、よく聞くようになりました。人いちばい敏感で、刺激に疲れやすい気質のことだ、と説明されます。

この言葉に救われた人は、たくさんいると思います。自分の生きづらさに、名前がついた。「気にしすぎ」と言われ続けてきたけれど、そういう性質なんだ、と思えると、少し楽になる。それは、とても大事なことです。

ただ、臨床で身体を診ていると、もう少し別の風景も見えてきます。「繊細さんだから疲れる」で止まってしまうと、「じゃあ、生まれつきだから仕方ない」というところに着地してしまう。でも、ほんとうにそうでしょうか。疲れているのは、気質のせいなのか。それとも、身体の状態のせいなのか。

感受性が高いのは、身体が豊かに反応するから

先週の話で言えば、感受性が高いというのは、相手の体験を追体験しやすい、ということです。悲しい話を聞くと、自分の悲しみがありありと立ち上がる。誰かの喜びに、自分まで嬉しくなる。身体が、豊かに反応する。

これは、本来、すばらしい力です。身体が、よく動く。よく感じる。世界の手触りを、こまやかに受け取れる。野生の動物のように、身体がいきいきと反応している状態です。鈍いより、ずっといい。

だから、感受性が高いこと、それ自体は、なおすべき欠点ではありません。むしろ、豊かさの証です。問題は、その豊かさを、扱いきれないときに起きてきます。

疲れるのは、自分の体験に飲み込まれるから

では、何が起きると疲れるのか。

相手の悲しい話を聞く。自分の中の悲しみが、呼び起こされる。ここまでは、共感です。ところが、その呼び起こされた自分の悲しみが、どんどん膨らんでいく。相手の話をきっかけに、自分の昔の悲しい体験が、次々とつながって、増幅していく。気づくと、相手のことより、自分の中で膨らんだ感情の波に、飲み込まれている。

これが、共感疲労とか、もらい疲れとか呼ばれているものの正体だと、私は思っています。相手から悲しみを「もらった」のではありません。自分の中の体験が、ふくれあがって、自分を飲み込んでしまう。

豊かに反応する身体を持っているのに、その反応を、自分でちゃんと感じて、おさめる力が、追いついていない。身体はいきいき反応するのに、それを見守って、扱う側が、間に合っていないんです。だから、波にさらわれてしまう。

解ければ、飲み込まれない

じゃあ、どうすればいいのか。感受性を、鈍くすればいいのか。刺激を、避け続ければいいのか。

そうではない、と思っています。豊かに反応する身体は、宝物です。鈍くするのは、もったいない。

必要なのは、増幅して飲み込まれそうになったときに、それを、ちゃんと感じて、解いていく力です。自分の中で何が起きているのか、身体で気づく。「あ、いま、自分の昔の悲しみが膨らんでるな」と、わかる。わかれば、そこに飲み込まれずに、すこし距離をとって、ほどいていけます。

先週までに話してきた、自分の身体をほどくこと、固まった防御反応を解いていくこと。それが、ここで効いてきます。自分の体験を、感じて、解ける。その術があれば、どれだけ豊かに反応する身体を持っていても、飲み込まれずに、相手と存分に関わっていけるんです。

解ける術は、特別な修行じゃない

解ける、というと、なにか特別な訓練が必要に聞こえるかもしれません。でも、そんなことはないんです。

あなたが好きなこと、楽しいこと。音楽を聴く。お風呂につかる。おいしいものを食べる。散歩する。あれは、もうすでに、身体がほどけて、解けていく時間です。瞑想の一種だと言ってもいい。だから、まずは、それを大事にしてほしいんです。

ただ、ひとつ、おもしろいことがあります。いま感じている、その心地よさ。じつは、あなたの身体が、知らないうちに抱えている疲れやこわばりの、その範囲の中での「できる精いっぱい」なんです。身体がもっと解ければ、同じお風呂でも、同じ音楽でも、もっと深く、心地よくなれる。

そのために役に立つのが、自分の身体の仕組みを、すこし知ることです。ただ動くんじゃなくて、その動きの中で、どこがどう動いているのか。骨が、関節が、どうつながっているのか。それが分かってくると、ほどき方が、変わってきます。

感受性は、重荷じゃない

身体が解けてくると、いいことが、三つ起きてきます。

ひとつ。好きなことから得られる感動が、もっと深くなる。同じ音楽が、もっと沁みる。同じごはんが、もっとおいしい。

ふたつ。好きなものが、広がっていく。今まで素通りしていたものに、ふと心が動くようになる。世界が、にぎやかになる。

みっつ。嫌なこと、ストレスのかかることへの、許容度が上がる。苦手な人と会っても、前ほど消耗しない。多少のことでは、飲み込まれなくなる。

感受性が高いことは、重荷ではありません。解ける術とセットになったとき、それは、人生をこまやかに、豊かに味わうための、大きな才能になります。そして、その豊かな身体は、人と関わるとき、いちばんの支えになる。相手の体験に、深く、けれど飲み込まれずに、寄り添っていける。

私塾でやっているのは、つまり、このことです。自分の身体をほどいて、感じて、解けるようにしていく。それが、自分のためにも、目の前の人のためにもなる。三週にわたってお話ししてきた、コミュニケーションの土台は、ぜんぶ、ここにつながっています。

あなたの感受性は、疲れるためのものじゃありません。世界と、人と、深くつながるための、入口です。

のんべんだらり、いきましょう。

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