足りないのは、お金ではない
足りないのは、お金ではない
エーリッヒ・フロムと、所有では届かない身体の安心
開業して二ヶ月、コロナ禍が来た。誰も来ない施術室。しかし公園で娘の頭の温かさが胸を溶かしたとき、身体は「大丈夫だ」と言っていた。
二〇一八年に開業した。長女が生まれた年だった。
仙台の小さな一室。完全個室で、ベッドはひとつ。施術ベッドをたくさん並べて回転率を上げたほうが経営としては合理的だろうと思わなかったわけではない。しかし、痛みや美容の施術ならまだしも、他の人がいたら話せないことを抱えている方がいる。私自身もその人との対話に時間を割きたかった。そうすれば結果的に、経営もうまく回っていくはずだと思っていた。ビジネスではなく、生業としてこの仕事をしてみたいと、ケツが青い僕は思っていたのである。
純粋無垢な希望で始めたスタートだった。ありがたいことに、左うちわとはいかないまでも、心配なく働かせてもらえるほど求めていただけた。
だが開業して二ヶ月ほど経った頃、割と歴史的な出来事に巻き込まれていくことになる。もちろん、これを読んでいるみなさんも巻き込まれた。覚えているだろうか。ダイヤモンド・プリンセス号。
誰も来ない部屋
コロナ禍が来た。
鍼灸院は医療機関だから閉めなくていい、というお達しが届いた。「閉めなさい」と命令されれば、補助金が出て少しは安心できただろにそうではなかった。休んでも休まなくてもどちらでもいい、と言われた。開けておくけれど、誰も来るはずがない。
もう忘れかけているかもしれないが、あの頃の街の空気を思い出してほしい。全員が色とりどりのマスクを身につけて行き交う。平日の電車のガラガラ具合は、映画の撮影の中に入り込んでしまったのかと思うほどだった。経験したことのない世界。することがなければ、暇になる。暇になれば、頭がぐるぐると回り始める。
銀行口座の数字が目減りしていくことに不安を覚えた──そう言いたいところだが、正直にいえば、それだけではなかった。何より不安だったのは、治療予約が入らないことだった。求められていないと感じたのかもしれない。ニュースを見て怖いからやめておこうとか、気にも止めずに今日は公園で遊ぼうかとか、二日酔いだったとか、子供が熱を出したとか──クライアントにはそれぞれの生活がある。それなのに、気に入ってもらえなかったのかな、何が悪かったのかな、と悶々と考えて苦しくなっていた。取り越し苦労というやつなのだろう。これが臨床家としてのサービスの質を高めるのだという一面はあるし、他者には介入できないが自分にはできる部分が多いのだから、きっといいことなんだろうと思うのだけれど、なんだかピンとこない。あの不安なモヤモヤは、いったい何だったのだろう。
娘の頭が、胸を溶かした
やることがなさすぎて、ゼロ歳の娘と毎日のように昼間から公園に行った。幸いやることがなかったのは仕事だけで、夫婦での生活に新しい家族がやってきて、何もかもが初めて。ちゃんとおしっこもうんちも顔にかけられたり、抱いても泣き止まない娘にアワアワする父親というのも経験した。てんやわんやで子育てに勤しむ環境があった。
とはいえ、ふと我に帰るとよぎるのは虚無感である。当時住んでいたマンションから公園は道路向かいで、家の玄関から本当に30秒かからずに着く。スーパーで買ったビールを──さすがに缶のまま飲む度胸はなくて──タンブラーに移して持っていく。平日の昼間、マスクを外して、桜を見ながら飲んだ。世界中が大変なことになっているはずなのに、公園には静かな時間が流れていた。
抱っこ紐の中で娘が眠る。ゼロ歳児の頭は驚くほど温かい。その温かさが、私の胸に直接伝わってくる。不安でこわばっていた胸の奥が、少しずつ緩んでいくのを感じた。何か良い事業アイデアが思いついたからではない。誰かに言葉をかけてもらったからでもない。ただ、小さな頭の温度が、硬くなっていた身体を物理的に溶かしていった。
二ヶ月ほど経った頃、ありがたいことに少しずつ予約が戻り始めた。大きな整骨院やマッサージは軒並み閉まっていたし、空いていても人が多い場所には行きたくない、と完全個室の私を見つけてきてくれる方がいた。コロナ禍が蔓延させたのはCOVIDだけではない。人々の不安もだった。のちにコロナ後遺症とされる症状が増え、ブレインフォグや味覚聴覚障害、それに付随する体の痛みやこりと、精神的な不調の相談がほとんどを占めるようになっていった。
私は忙しくなった。求められていた。経営の不安はいったん遠のいた。しかし──不思議なことに、公園でビールを飲んでいたあの日々も間違いなく安心していた。忙しくなって、収入が戻って、「大丈夫だ」と言えるはずの状態になったのに、あの公園の桜の下にいたときの、あの穏やかさもまた恋しい。
あのとき私は、何も持っていなかった。クライアントも、売上も、見通しも。でも娘の頭の温かさと、桜と、昼間のビールがあった。そしてそれだけで、身体は「大丈夫だ」と言っていた。
腹が決まらないということ
振り返ってみれば、あの不安のモヤモヤの正体は、お金の問題でも社会的な責任を全うすることでもなかったのかもしれない。ごく身体的なことだったのだと思う。
腹が決まらなかった。腑に落ちなかったのだ。
「腹を決める」という言葉がある。これは力むこととは違う。「よし、やるぞ!」と気合を入れるとき、腹は──文字通り──浮く。内臓が力みで収縮し、呼吸が浅く速くなる。ヒュん、と腹が浮く。あの状態で「やるぞ」と言い続けても、身体は安心していない。頭だけが前に走っていて、腹が座っていない。
必要だったのは、力を抜くことだった。腹が座る、という感覚を掴むことだった。力が抜ければ、重力に引っ張られて内臓は下に落ちる、あるべきところに収まる。しかし当時の私には、腹が座るとはどういう身体の状態なのかがわかっていなかった。言葉は知っていた。「腹を括れ」「腹を決めろ」「腑に落ちる」。でもそれらは記号でしかなく、その記号がどんな感覚を指しているのかに触れられていなかった。お金も同じだろう。ビジネスのアイディアも、それ自体が目的ではなく、どしっとしたかっただけなのかもしれない。胸のあのポワンとした心地よさに浸りたかっただけなのかもしれない。
お金、承認、仕事、落ち着け。記号を追って、身体に届いていなかった。感じていなかった。
娘の頭の温かさが胸のこわばりを溶かしたあの感覚──あれこそが、身体が「大丈夫」を知った瞬間だったのだと、今になってわかる。お金が入ったからではない。予約が増えたからでもない。不安でこわばっていた身体が、物理的にほどけたから、「大丈夫」が身体の中に立ち上がった。
あのとき私は、まだ身体の教養を持っていなかった。持っていなかったから、あの安心が何だったのかを言語化できず、物語製造機の思考の中に再び埋もれてしまった。深刻そうな顔をして、最もらしい大人が使う言葉を用いながら、ファンタジーな頭お花畑状態だったのだ。世界は感じるものなのに、それをしないでファンタジーを作り出すのに一杯一杯になっていたんだ。
エーリッヒ・フロムの二つの様式
この経験を何年も反芻しながら臨床を続けていたとき、本棚の奥に眠っていた一冊を改めて手に取った。
エーリッヒ・フロム、『生きるということ(To Have or to Be?)』。一九七六年に出版された、精神分析家による社会批判の書だ。
フロムは一九〇〇年、フランクフルトに生まれたユダヤ系ドイツ人。ナチスの台頭を受けてアメリカに亡命し、マルクスとフロイトの両方に学びながら、どちらの陣営にも与しなかった。晩年はメキシコとスイスを行き来し、鈴木大拙との交流を通じて禅にも深い関心を寄せている。西洋と東洋の「あいだ」に立ち続けた人の佇まいがある。
フロムはこの本で、人間の存在様式を二つに分けた。「持つ(Having)」の様式と、「ある(Being)」の様式。
持つ様式とは、所有によって自分を定義する在り方だ。お金を持っている。肩書きを持っている。知識を持っている。人脈を持っている。持っているものが多いほど安心し、失えば不安になる。成功者とは、より多くを持っている人のことである。
ある様式とは、経験そのものの中に自分を見出す在り方だ。何かを持っていることではなく、今この瞬間に感じていること、関わっていること、動いていること。所有の量ではなく、存在の質。
この本を読み返したとき、あの公園のことを思い出した。売上も予約も見通しもなかった。でも桜があり、ビールがあり、娘の頭の温かさがあった。あのとき私は、何も「持って」いなかった。けれど確かに「あった」。フロムが「Being」と呼んだものの感触を、私はあの公園で、身体で知っていたのかもしれない。
フロムが指摘したのは、現代の産業社会が「持つ」様式をデフォルトとして私たちに刷り込んでいるということだった。資本主義は消費を駆動し、消費は「持つこと」を幸福と等号で結ぶ。広告は「これを手に入れればあなたは幸せになれる」と繰り返す。教育は知識の「獲得」を評価する。私たちは「持つ」ことを通じて安心を得る回路を、文化的に──ほとんど身体的に──刷り込まれている。
しかし、持つことで得られる安心は、本当の安心なのか。
「まだ足りない」の身体
ここで身体の話に踏み込みたい。
臨床にはには、いわゆる「成功した」人も来る。会社を経営している。売上は順調で、自宅も車もある。けれど身体に触れると、肩から背中にかけてが鉄板のように硬い。呼吸は胸の上のほうだけでかろうじて動いていて、横隔膜はほとんど仕事をしていない。「成功すれば安心できると思ってたんですけど、全然安心できないんですよね」。そう言う方が、少なくない。
以前の記事でも触れてきたが、快には二つの様態がある。身体の物理的状態が合理性の方向に動いたときに立ち上がる快と、身体の不快を神経化学的に一時的に覆い隠す快──マスキングの快だ。
昇給して嬉しい。昇進して誇らしい。新しい車を買って興奮する。これらの感覚は本物である。しかし、その快が身体の状態を変えたから生まれたのではなく、脳の報酬系を一時的に刺激したから生まれたのだとしたら、マスクが切れたとき、元の不快は戻ってくる。もっと稼がなければ。もっと認められなければ。刺激の閾値が上がり、同じ量では満たされなくなる。
興味深いデータがある。プリンストン大学のダニエル・カーネマンとアンガス・ディートンが二〇一〇年に発表した研究は、年収が約七万五千ドル(当時のレートでおよそ七五〇万円)を超えると、日々の感情的な幸福度は頭打ちになることを示した。収入が増えても、「人生がうまくいっている」という認知的な評価は上がる。しかし、嬉しい、楽しい、安心しているという日々の「感じ」は、ある地点から上がらなくなる。「評価」は思考の産物だ。「感じ」は身体の産物だ。
記事14で書いた自己肯定感の話と、ここで合流する。肯定「感」の「感」は身体で起きていた。安心「感」の「感」もまた、身体で起きている。思考が「もう大丈夫だ」と判断しても、身体が「まだ足りない」と発信し続けていれば、安心は実感として立ち上がらない。
フロムが「持つ」様式の不安と呼んだものを、身体の言葉に翻訳すると、こう見えてくる。持つことでは身体の状態が変わらない。身体が変わらなければ、安心の「感じ」が立ち上がらない。だから「もっと持たなければ」が終わらない。記事04で書いたハン・ビョンチョルの成果社会批判とも地続きだ。成果主体は自分で自分を駆り立てる。その燃料が「持てば安心できる」という信念であるとすれば、フロムとハンは五十年の時差を挟んで、同じ身体の疲弊を見ていたことになる。彼らも同じ実感を持っていたのかもしれないと思うと、急に身近な存在に感じる。思想は身体性の表現でもあるのかもしれない。
ホームレスになったっていいし、山に暮らしたっていい
ここで少し、逆のことを考えてみたい。
ホームレスになったっていい。山に引っ越して暮らしたっていい。転職するのは仕事を変えるようなもので、別に人生が終わるわけではない。──こういう言い方をすると、「無責任だ」と思われるかもしれない。
けれどフロムが「ある」の様式と呼んだものの核心は、実はここにある。自分の存在が「何を持っているか」に依存していなければ、何を失っても自分は失われない。家を失っても、肩書きを失っても、「自分」は消えない。なぜなら、「自分」は所有物ではなく、今この瞬間に感じ、動き、関わっている身体そのものだからだ。
記事11で書いた千葉雅也の議論が、ここでも響いてくる。「自分」は発見すべき固定された正解ではなく、身体が世界と出会うそのつどの接点に生成されるものだった。持っているもので自分を定義している限り、持っていないものに怯え続ける。身体の感覚を通じて「自分」がそのつど立ち上がるなら、外側の条件に依存しない安心が生まれる余地がある。
もちろん、お金がなければ生活が成り立たないという現実は厳然としてある。それを否定したいのではない。問いたいのは、十分な基盤を超えてなお、もっともっとと走り続けるあの衝動がどこから来ているのか、ということだ。身体が「まだ安全ではない」と発信し続けているからではないだろうか。そしてその身体のシグナルは、外側に何かを足すことでは消えないのではないだろうか。
身体が「もういい」を知っている
施術のあとに、「なんかもういいかなって思えました」と言う方がいる。何がいいのか、本人にもうまく説明できない。仕事の問題が解決したわけでも、お金が増えたわけでもない。身体が変わっただけだ。
「もういい」。この言葉は、マスキングの快からは決して出てこない。マスキングの快は「もっと欲しい」を生む。「もういい」は、身体が欠乏のシグナルを出さなくなったとき──身体合理性に基づく快が十分に立ち上がっているとき──に、自然と湧いてくる言葉だ。
フロムならこれを「ある」と呼ぶのではないかと思う。持つ必要がない。今、ここに、この身体で存在していること自体が、すでに十分であるという実感。
これは「清貧に甘んじましょう」とか「欲を捨てなさい」という説教ではない。それは記号だ。ナラティブだ。二元論的で安易なんだ。身体の状態が変われば、同じ年収でも同じ仕事でも同じ環境でも、感じ方が変わるということ。走り続けていたあの衝動がふっと静まる瞬間がある。それは諦めではなく、身体が「ここで大丈夫だ」と知ったときの静けさなのだと思う。
あの公園に、フロムはいた
エーリッヒ・フロムは一九八〇年にスイスで亡くなった。『生きるということ』が出版されてから五十年が経つ。しかしこの本が突きつけた問いは、むしろ今のほうが鋭いのではないだろうか。それだけ今の時代というのは、思考の海だ。
SNSは「持っているもの」を可視化し、比較を加速させた。成功者のライフスタイルが毎日タイムラインに流れてくる。持つ様式の多様さ、いや、ー不安定さとでもいうかーは、フロムの時代より遥かに増幅されている。同時に、「成功したのに安心できない」という声も増えている。走り続けた先に安心がなかった人たちが、立ち止まり始めている。
フロムの答えは「持つ」から「ある」へ。しかし「ある」とは具体的にどういう状態を指すのか。フロムの議論は、ここでやや抽象的になる。精神分析の言葉で語られる「Being」は、概念としては美しいけれど、そこにどう到達するのかが見えにくい。これが厄介で、迷った人々はここに色々な物語(ナラティブ)を紡ぎ出す。
私はそこに、身体からの経路があると伝えたい。「ある」とは、この身体で今ここに存在し、呼吸し、感じていること。重力を受け止め、横隔膜が動き、足裏が地面を踏んでいること。フロムが「Being」と呼んだものの実体は、少なくともその一端は、身体の中にあるのではないか。
あの公園のことを、ときどき思い出す。何も持っていなかった。クライアントも、売上も、見通しも。ただ桜があって、タンブラーのビールがあって、抱っこ紐の中の娘の頭が温かかった。あのとき私の身体は、おそらく「ある」の様式の中にいた。持つことで得られる安心とは別の、もっと静かで、もっと身体的な安心。
腹が座る、とはああいう感覚だったのだと思う。力んで「やるぞ」と言うのではなく、身体がほどけて、重力が通って、呼吸が深くなって、このままでいい、と腹の底から感じられること。頑張って立ち向かうわけでもなく、そのままでいられる感じ。勝手に彼方から向かってくるわけで、何をあんなに頑張っていたのだろうと思う。あのとき娘の温もりがほどいてくれたものを、今は自分の手で──身体の教養を通じて──解釈できるようになった。そして、これをクライアントに伝え、体系化することで、思考の檻から抜け出す人も増えてきた。これは本当に嬉しいことで、かつての自分に報告したいくらいである。
足りないのは、お金ではない。お金では届かない場所に、身体はある。そしてその場所には、あなたの身体でしかたどり着けない。この最後の人文を読む間から、まずは触れてみてほしい。感じてみてほしい。思うのではなく、イメージするだけでもなく、触れて動かして、感じてみてほしいのだ。「ある」の感覚はいつもここにある。

