動的内受容感覚アプローチ(DIA)について
somaticstudioの、大沼竜也です。
私が提唱する「動的内受容感覚アプローチ(Dynamic Interoceptive Approach: DIA)」は、固定された「理論(Theory)」ではなく、知覚と身体を探求するための「アプローチ(Approach)」として体系化しました。
J.J.ギブソンが知覚研究において「生態学的アプローチ」を提示し、メルロ=ポンティが「現象学」という方法を用いて「生きられた身体」を探求したように、DIAは、私たちが自らの「身体合理性」を発見するために、いかにして「内受容感覚」を用いるか、その具体的な方法論と体系的な枠組みを提示するものです。
これは、私自身が鍼灸師として臨床に立つ中で得た東洋医学の叡智と、最新の神経科学・解剖学の知見を統合し、一つの実践的な「道筋」として磨き上げたものです。
DIAの出発点:感覚の鈍麻と「物語」の発生
DIAの出発点は、私自身もかつて深く悩まされた、そして今、多くのクライアントが抱える「漠然とした不安」「慢性的な疲労」「集中力の欠如」といった「うまくいかない感じ」にあります。
このアプローチでは、これらの不調の多くが、純粋な「心理」や「意志」の問題ではなく、「身体」と「意識」の接続不良から生じていると考えます。
内受容感覚(センサー)の鈍麻:
私たちは、PCやSNSといった「外側」の情報や、「~すべき」という思考にアテンション(注意)を奪われ、自らの身体内部の状態を感じ取る能力(=内受容感覚)が著しく鈍化しています。
「アラーム」の発生源の喪失:
身体が「非効率な状態(身体合理性からの逸脱)」に陥ると、「不快」「重さ」「詰まり」といったアラーム(警告)が発せられます。しかし、センサーが鈍化しているため、脳はこのアラームが「"今"のカラダの無理」という特定の身体部位から来ていることを特定できません。
「物語」の生成:
脳は、この「原因不明のアラーム(漠然とした不快)」を説明するために、最も手近な理由を探し、後付けの「物語」を生成します。
『なんだかザワザワする…そうだ、未来が『不安』だからだ』
『虚しい…そうだ、私が『頑張らない』からだ』
このように、DIAは「不安」や「焦り」を「心」の問題と直ちに結論づけません。それらは、「身体」からのアラームを「脳」が誤ってラベリングした結果である、と仮定します。
目的地とコンパス:「身体合理性」と「快」
DIAは、この「物語」との格闘(=「もっと頑張る」「不安を消そうとする」)から脱却し、アラームの発生源である「身体」そのものの状態を改善することを目的とします。
目的地:身体合理性(Shin-tai Gō-risei)
DIAが目指す目的地は、客観的な真理としての「身体合理性」です。
身体合理性とは:
普遍的な物理法則(重力など)の下で、人体の解剖学的構造、運動生理機能、そしてそれらを統合する全てのシステムが、矛盾なく調和し、エネルギー効率が最大化され、構造的負荷が最小化された、身体にとって最も持続可能(サステナブル)な状態、およびその状態へ至るための原理を指す。
コンパス:「快」のシグナル
この目的地へ到達するための、唯一のナビゲーターが、内受容感覚が捉える「快」のシグナル(ご著書における「気持ちよさ」)です。
身体の状態が「身体合理性」に合致した時、脳は「それで合っている」という報酬として「快」のシグナルを送ります。逆に「不快」は、「身体合理性から逸脱している」という極めて重要な警告(アラーム)なのです。
方法論:「原感覚」と「身体動態瞑想」
DIAの実践は、このコンパス(快)の解像度を高めることから始まります。
原感覚(Genkankaku)
私たちはまず、自らの「原感覚」を探求します。「原感覚」とは、「心地よい」や「不快」といった解釈(ラベル)が貼られる以前の、純粋な物理的感覚パターン(「どこが」「どんな質感で」「どう動くか」)そのものを指します。
自らの「充足感」を分析することで、受講者は「特定の『原感覚』のパターン(例:胸が、温かく、じわーっと広がる)」と、「充足感」というラベルが強く結びついていた事実を発見します。
身体動態瞑想(Shintai Dōtai Meisō)
「身体動態瞑想」は、このコンパス(快)を使って目的地(身体合理性)を探求する、DIAの核心となる実践プロセスです。
最も重要なのは「感覚(快)」です。 私たちは思考で「正しいフォーム」(例:「背筋を伸ばす」)を一方的に身体に押し付けることはしません。なぜなら、「快」という感覚だけが、「身体合理性」への正解を知っているからです。
しかし、これは「思考」や「意思」を放棄することではありません。むしろ、その「感覚」を最大限に引き出すために、私たちは**「物理的な身体構造という知識」を積極的に利用します**。
例えば、「ぼんのくぼ」や「坐骨」、「足裏のアーチ」といった解剖学的な「知識」に、自らの「意思」(アテンション)を向ける。
その上で、「どうすれば、もう少し快適になれるか?」と、身体に問いかけ、その結果得られる「快(気持ちよさ)」という微細なフィードバックを、何よりも尊重するのです。
この「知識と意思に導かれた、感覚による発見」のプロセスこそが、身体動態瞑想の本質です。
このプロセスを通じて、私たちは「感覚の再教育」と「身体の物理的な最適化(身体開発)」を、一つの行為として同時に達成していきます。
結び:アプローチとしての展望
DIAは、完成された「答え」ではありません。
それは、私たちが自らの身体という最も身近なフロンティアに立ち返り、「身体合理性」という真理を発見し続ける、動的な「旅(ジャーニー)」そのものです。
このアプローチが、身体と意識の再統合を目指す専門家、そして自らの「うまくいかない感じ」の根源を探求するすべての方々にとって、確かな一助となることを、私は心から願っています。

